前回のコラムでは政治とPRの関係についてお話ししましたが、今回は経済とPRについて考えてみたいと思います。
正直なところ、経済のPRはとても難しいテーマです。企業やお店が自社の商品やサービスをPRし、売上を伸ばすことは、最もわかりやすい経済的なPRの一例でしょう。また、個人が宣伝で知った商品を購入することも、PRの結果としての経済行動と言えます。
しかし、政治のようにPRが大きな話題になることは少なく、経済に関するPRはメディアで取り上げられにくい傾向があります。特定の企業をひいきしていると思われることを避けるため、メディアが慎重になっているのかもしれません。そのため、経済分野におけるPRの中心は、メディアPRよりも広告や宣伝に偏りがちです。
それでも、テレビや雑誌では「安いお店」「お得な商品」「コスパの良いサービス」などが頻繁に特集され、多くの人が関心を寄せています。確かに、生活者にとって役立つ情報ではありますが、経済学部卒業の私からみると,「安いこと」が本当に良いことなのか、一度立ち止まって考えてみる必要があるのではないかと思うのです。
日本経済は「失われた30年」と言われる長いデフレの時代を経験しました。その結果、かつて世界第2位だった経済大国の地位を失い、国力の低下が懸念されています。日本では、1970年代の石油ショックによるインフレの記憶が根強く残っており、物価上昇への恐れが大きいように感じます。私自身も当時の「狂乱物価」をうっすらと記憶していますし、高齢者世代にとってはインフレの怖さは実体験として刻まれているでしょう。
しかし、日本経済が長らく成長しなかった一因として、「価格を上げること=悪」という価値観が定着してしまったことも見逃せません。その原因の一端は、新聞やテレビといった各メディアの報道姿勢に求めることができるでしょう。彼らは、本来、経済成長には適度な物価上昇が伴うものだという経済学の基礎知識を伝えるよりも、とにかく「安いものこそ正義なのだ」という観点から報道し続けた結果、人々の間に「安いものはありがたい」という意識が広まってしまったのです。その結果、企業も価格転嫁を避けるようになり、デフレが長引いてしまいました。
最近になってようやく物価が上昇し始めましたが、未だに「生活が苦しくなる」という報道ばかりが目立ちます。確かに、賃金が上がらないまま物価だけが上昇すれば生活は厳しくなります。しかし、本来の経済成長とは、物価上昇とともに賃金も増えることで実現するものです。ところが、日本企業はリスク管理の名のもとに内部留保を増やすばかりで、なかなか賃金には反映されていません。最近になって人手不足の影響で新入社員の給与が上がり始めましたが、まだ一部の企業に限られています。
経済のPRは、どうしても庶民の目線では「安さ」にフォーカスされがちです。しかし、国全体の視点(マクロ的な視点)から、経済成長を後押しするようなPRがもっと求められているのではないでしょうか。